わが国の痔核手術の主流は、痔核を縦方向に切除する結紮切除術です。
肛門科専門医の間では、さらに痔核を切除した後の傷を縫い合わせる『半閉鎖式結紮切除術』を採用している医師が多くいます。
ただ、この手術は輪郭が書いてない紙から切り絵を行なうような、数多くの経験と才能が必要です。
縫い合わせた傷が開いてしまえば、術後の出血や痛みを増すことにもなりますし、肛門狭窄という重大な後遺症を残す危険性もあります。
それで『半閉鎖式結紮切除術は熟練が必要である』などと、学会などでも評価され、
「どうせ縫っても、途中で開いてしまうのだから、私は縫いません」
などと公言する専門医もいらっしゃいます。
私は、痔核というのはありふれた、ポピュラーな病気なんだから、特別の才能や数多い症例数を経験できるような環境になくても、普通の外科的技術を持った医者が容易に習得できるのがスジではないかと考えています。
また、お師匠様のところに通い詰めなければ学べないようでは、標準的な手術とは成り得ません。
そこで三年くらい前から、様々な学会や研究会でビデオを使って新しい術式である『
トライツ筋温存式結紮切除術』を発表してきました。
しかし、外科医というのは職人気質から『自分の手術で何も困っていないから、今更新しい手術を導入するのもどうか』と思っているのでしょうか、ほとんど反応がありません。
そこで、これから痔の手術を学ぼうとしている医師に新しい手術法を伝えるためにYoutubeを使うことを思いつきました。
まずは、イラストを使って手術の原理と成績を示したビデオを作成しましたので、ご覧ください。
https://youtu.be/xCwOySy85kQ
さらに手術ビデオから学ぼうと思われる方には、『サルケツチャンネル』に、いろいろな形の痔核を
トライツ筋温存式結紮切除術で行っているビデオを集めました。
こちらは、出血シーンもありますので、自信のある方だけどうぞ。
https://www.youtube.com/channel/UC9N70hg_nCHTHksGoDwPe7w
先日、手術の記録をしているビデオカメラ(テープ式:買って4年くらい)が壊れてしまって、修理を見積もったら18000円もかかるうえに、既にテープ式のビデオカメラは製造していないことが判明。
「こりゃ買い替えだ」と安そうなビデオカメラを探していたら、店員さんが勧めてくれたのがデジカメのビデオ機能を使うという手。
発売一年を過ぎて、特価になっていた20500円のサイバーショットを買いました。
昨日撮影してみて、その画像のきれいなことに唖然。
1500円くらいで8Gのメモリーカードを入れて1時間録画可能。!
これを使って、手術の記録を録画してみた。
たいていの患者さんは
「医学の進歩や、患者さんの教育のために、ビデオを撮影して公開する必要があります。お嫌でなければ、協力していただけないでしょうか」
と、まじめに真摯な態度でお願いすると、
「顔が出るわけじゃないから、良いですよ。どんどん使ってください」
と、快く引き受けてくれる。
これも、患者さんとの信頼があってからこその事で、それまでの診察を親切丁寧に、
「あなたの健康を回復させるために、全身全霊、努力を惜しみません」
という姿勢を伝えてあったからこそである。
流れ作業で『通り一遍』の診察をしていたのでは、こういうわけにもいかないだろう。
撮影しながらの手術は、どうしても時間と手間がかかる。
自分の忍耐だけではなく、周りのスタッフの忍耐も限界を超えないように、いつもの何倍も気を遣い汗もかく。
それでも、出来上がった美しい(手術のビデオを美しいというのは、私も相当なヲタクと言えるかも(^^ゞ)ビデオを観て、その苦労も吹き飛んでしまった。
どうも歳のせいか、些細なことにグッと来て涙ぐんでしまうことが多くなったこの一年であった。なんせ、AKB48の『Everyday、カチューシャ』を歌っていても、中学生のころのせつない気持ちがこみ上げてきて、声が詰まってしまうほどの重症(^^ゞ
定期的に通院してくる患者さんに、40歳くらいのダウン症の女性がいる。ダウン症というのは、遺伝子の異常のため生まれつき知恵遅れがあって、その患者さんも知能は小学生くらいの印象である。一緒についてくる母親も、70歳は超えているだろうか、人生の困難に闘う事で得られた穏やかな表情や立ち振る舞いが見事であるが、心に秘めた不安は想像に難くない。
Dr.OKはプロとしての誇りがあるから、どんなに混んだ外来であっても、生活指導のために、見かけは中年の小太りのオバサンであるが心は小学生の女性に、噛んで含めるように毎回同じような説明を繰り返す。知恵遅れといっても、「ゆっくり順序立てて説明すれば、理解してもらえる」いう信念が頼りである。
先日も、そんなわけで通常の5倍くらい時間をかけて説明をし終わった。年末の混んだ外来はカルテが山積みになっていて、そのうち看護師さんからこっそり「先生、まきでお願いします」なんてささやかれそうでヒヤヒヤしながら
「それでは、お大事に」
と言って席を立ちかけようとした。ところがなぜか患者さんは立ったまま立ち去ろうとしない。
ほんの一瞬、「何か言い忘れたことでもあったかなぁ?」と思っていると、
「先生、いつも優しくしてくれてありがとう」
と、まるで小学生が意を決して意思表明をするように、ぎこちない言い方で声を発した。
これでもういけない、じわ~っと涙が溢れそうになって
「それでは元気でね、また来年」
と言って、そそくさと診察室を後にした。
Dr.OKもこれから体力知力も衰えて、第一線で活躍できない医者になる日が来るだろうけど、医者を続ける限りは優しさで患者さんを癒せる医者でありたいと思った。
事の初めは、友人医師のぼやき。
「今年もお金がないから、名医にはなれなかったね」

日本肝胆膵外科学会が、週刊朝日増刊号「いい病院ランキング」に対して抗議文を送ったとの情報が入った。同時に友人の大学医学部教授からも、この手の『名医ねつ造本』仕組みについてコメントがあった。それによると
1)症例数や治療成績などのアンケートを各病院に送り、それをもとにランキング本をつくる。
2)アンケートに協力しないと立派な成績を上げていても掲載されないので、皆やむを得ず協力する。
3)別途カラーページを設けていくつかの病院を紹介する。
紹介された病院は、何らかの基準があるわけではなく、高額とも思える広告掲載料を支払った病院が掲載されるわけである。
詳細はこちらのブログ⇒
前述の教授によると、そのような患者さんに誤解を招くような広告掲載依頼に対して
『個々の記者にメールでクレームをつけた結果、黙ってランキングから外された経験はあります』
との事。
強力な『言論』という権力をタテ(←ちょっち変な言い方?)に、やりたい放題の大出版社と(一部だと信じたいが)ジャーナリストの風上にも置けない輩がいることは事実である。
その後、朝日新聞出版から『わび状』が日本肝胆膵外科学会へ送られてきて『本件企画広告の営業活動は中止させていただきました。』とあるので、「いい病院ランキング」は廃刊されることになるのだろうか。
その『わび状』だが、この記事を作ったときには肝胆膵外科学会のホームページに高々と掲載されていたのだが、2013年1月5日に確認したところ、掲載が中止となっていた。年も改まって何もなかったかのように水に流したかったのであろうか?
参考資料としてネットを探したら、ありました。
クリックすると、大きく表示されます。

実は、まったく同様の事が私の専門分野でも起こっている。
勤務先の病院に『病院の実力2013 痔 肛門疾患治療特集』という雑誌に広告掲載依頼のファックスが12月13日に送りつけられてきて、最も高い取材編集記事広告カラー1ページの掲載料は、なんと1,260,000円である。
日本大腸肛門学会評議員の先生がお神輿としてかつぎ揚げられており、日本肝胆膵外科学会と全く同じ構造である。
日本大腸肛門病学会が、毅然とした態度をとれるかどうか、『学会の実力』が試されている。

高尾山に登ってみた。
しとしと雨の中、そんな日に登る人は、よほどの登山ファンなのであろう、色とりどりのウエアにトレッキングシューズ。
こちらはといえば、ほんのお気楽山歩きのため、ゴルフ用のパーカーと、スパイクレスゴルフシューズ。
一応、防水樹脂製の凸凹靴底なので、滑ったりぬかるみで困ることはなかったが、岩が露出している場所では、足の裏が「万年足底マッサージ状態」で痛いのなんの。
走行しているうち、無事山頂にたどり着き、名物の山菜そばを食べて下山始めたところ、頭から血を流して倒れている初老の男性に遭遇した。既に、周囲に人が集まり
「AED持って来い!」
と、緊迫した声が聞こえる。
「私、外科医ですけどお手伝いしましょうか」
と、声をかける。首で脈をとるが全く分からない。
呼吸も時々顎をあげて吸い込むような、下顎呼吸である。
「心臓マッサージお願いします」
と言われ、すぐに覆いかぶさるようにして両腕に力を込めて胸を押し始めた。
この時ほど、体重100㎏が有効なことはない(^^ゞ
しばらくしてAEDが到着して電極を装着すると、声のガイドで電気ショックの必要だと言っている。
「みなさん、《男性から》離れて」
スイッチを押すと、自動的に通電され、男性が大きく全身を硬直させ痙攣をした。
私も、AEDを実際に使うのを見るのは初めてだが、実にうまくできている器械である。
全く医学的知識が無くても、緊急事態下でも慌てず、声のガイドで誰でも電気ショックをすることができる。
そんなことを何回も繰り返しているうちに、赤いオートバイに乗った救急隊員が二名やってきた。
すぐに、救急蘇生を交代して、現状を本部に報告する。
それから遅れること10分ほどで、二台の軽ワゴンに分乗した救急隊員が大勢到着して、全員で10人ほどになった。
今度は、点滴も装備していて、心臓マッサージを行いながら、見事に腕から点滴ルートを確保した。
「電気ショックを10回以上行っていますが、心停止の状態です。アドレナリンを投与したいのですが、許可願えますか」
点滴の確保はできても、薬の投与は医師の指示が無ければできないとのこと。
「アドレナリン投与お願いします」
即答して即投与。
反応なし。
病院搬送が決定され、あっという間に撤退準備が行われ、サイレントともに下山していった。
一応ほっとして、トイレなど使っていると、外で初老のご婦人と思われる声で
「本当に、お医者様がいると安心ね」
なんて声が聞こえてきて、シアワセな気分になる。
そういえば、医者になりたての頃、先輩が
「道端で倒れている人を見ても、決して手を出してはいけないよ。器具や薬が無ければ何もできないし、(手を出して)上手くいかなかったら、訴えられることだってあるんだから」
と言っていたことを思い出したが、全く忘れていた。
きっと、私は忘れたまま一生を終えるだろう。

昨日、名古屋に行ったついでに医学生の娘と、母校名古屋大学医学部を訪れた。
『子は親の背中を見て育つ』というが、そんなたいそうな背中を(広いことは広いけど(^_^;))持っていない私は、せめて自分の原点を見せたくて連れて行ったのである。
大学病院は建て替えられて、見上げるばかりの高層ビルになっていた。
講義室の外装は近代的にお色直ししてあったが内部構造は昔のまま。学生運動が盛んだったころにポスターを張ったガムテープの跡だらけだった壁は塗りなおされたのだろうか、きれいな白壁になっていた。
いやにゆっくりな旧式のエレベーターで4回に上がり、講義室のロビーに立った。
分別ごみ用の4つのごみ箱に接するように、私の好きな銅像が、昔のままに置かれていた。
その当時、自動車で通学していた私は、朝の渋滞を嫌って早朝に大学に到着するようにしていた。
講義室の鍵があくまで、ロビーのソファで缶コーヒーを飲みながら、古い大学病院独特の朝のどんよりした空気に浸り、ぼんやりとこの銅像を眺めていたものである。
銅像の主の、
久野寧先生とは、何の面識もない。
「きっと、偉い先生なんだろう」と思ってはいたが、インターネットも無い当時、わざわざ久野先生の業績を調べるようなこともなかった。
ただ、気になっていたのは銅像の台座の銘板に刻まれた文字。
弱者への無限の同情これを医道と云ふ
弱者へ同情することは、だれでもするであろう。この言葉のすごいことは
『無限』なのである。
「君は、すべての患者さんを救えるわけじゃない。でもね、いつも患者さんの事を心配してなくちゃいけないんだよ」
臨床実習で受け持った難病の患者さんのすべてが、大学病院で治療をして治るわけじゃない当たり前の現実を間近に見て、うろたえていたその当時の自分には、いつしかこの言葉が染みついていた。
わが娘にも
「医者になったら、親孝行しようと思わなくても良い。死に目に間に合わなくても良い、その時間を弱い患者さんと共に過ごすことに使うように」
と近いうちに伝えておくことにしよう。
先日、母校の同門会で、長尾能雅教授のお話を伺う機会を得た。
数年前から話題になっている、医療事故を防止するための専門家で、肩書きも『名古屋大学医学部附属病院 医療の質・安全管理部 教授』という舌を噛みそうな長~い
友達肩書きである。
その講演の中で、かつて人工透析をする場合、滅菌済みの複雑な透析回路の組立を医者自ら行っていて、それが透析専門医のプライドのようになっていたが、仕事の忙殺されるがあまり当然のこととしてミスが起こる。
患者さんの生死に関わるような大事故は起こらないにしても、ヒヤッとすることは、頻繁に起こっていたようだ。
そこで、『臨床工学技士』という専門家が登場し、複雑な医療器械の管理保守を行うようになってから、そのような医療事故寸前の事態は激減し、医師も自分の専門である診療に力を注げるようになったとのことである。

この話を聞いた直後、大津市の中学生がいじめを苦に自殺したという報道が大々的に行われ、マスコミは一斉に当事者である中学校を叩くは叩くは・・・
いったい、この数年間に同様のいじめが原因の自殺が何度報道されたことか。
全く進歩していないぢゃないかぁ~~~!
この手の報道がされる度にDr.OKは
「学校内の暴力やいじめの問題を、教師という職業の業務として良いものであろうか」
と疑問に思う。
教師は『正しい知識を教える』ことが第一の仕事であり、暴力を振るう生徒から身を守る護身術を学んでいるわけではない。
また、親の子供に対する接し方が関与しているいじめ問題(今回のいじめ問題の加害者の親から「うちの子供が自殺したらどうしてくれる」との発言があったと報道されていた)に対し、家庭内まで言及して何か権力を行使できるわけでもない。
アメリカのように拳銃を持った生徒がやってくるような環境なら、武装警官の常駐がすぐに決まるだろうが、水面下で行われ対応が非常に難しいいじめ問題を、
『学校で起こったことだから、教師が責任を持つのが当然でしょ』
と鬼の首を取ったかのように責め立てても、問題の解決になならないと思う。
臨床工学技士の活躍で医療事故が減ったように、教育の現場にも何らかの校内暴力やいじめに対する専門家が必要なのではないか。
それこそ『教育の質・安全管理 教授』なんて人が、教育学部に誕生しても良いかもしれない。
Dr.OKは、ラグビー部に所属していた。
身長183cmと、大阪大学の中野さんに『プロレスラーのほうが向いている』と言われた、95kgの体躯。
弱小ラグビー部においては、週二回練習(といっても週三回しか練習日がなかった)に参加するだけで、楽々、不動のロックとして活躍し、自由気ままに大学生活を送っていた。
一方、Prof.KO。おそらく身長175cmくらいの中肉中背。どこにでも居そうな、「あいつ勉強できたけど運動はね」という風貌を持った、バイリンガル。合宿の時、玄関から自力で上がれないくらい、必死で練習していたチームメイトを私は知らない。
Dr.OKは、「腕一本で生きていこう」と、大学を離れひたすら痔の手術と大腸内視鏡に限定して、血の出るような(←ウソウソ)努力をして、いまやそれだけを得意とする、傍から見れば『お気楽な』医者として活動している。余裕のある時間配分で、インターネットを駆使して医療情報の公開にひたすら励んでいる。
一方、Prof.KO。医者になりたての頃から外科医志望にもかかわらず、手術の及ばない胃がんの患者さんに、抗がん剤を駆使して根治しようと目的を持っていた。得意の英語を駆使して、研修医の頃から進んだ欧米の抗がん剤治療の論文を読みあさり、その後、先輩医師もあまり得意ではない抗がん剤の治療を計画していた。
名古屋大学や愛知がんセンターを渡り歩き、日々研鑽の結果、母校名古屋大学消化器外科2の教授に上り詰めた。
昨日、学友大会首都圏支部の会合があり、小寺康弘教授は大勢の大先輩を前に、堂々と自分の研究成果を発表した。その後の懇親会では、昔の小寺くんに戻り、東京出身の名古屋弁なまりの標準語で、いつものように気さくに、かつ遠慮を知らない話をした。
流石に、昔のように鼻をすすりながらずり下がるメガネを気にする癖は直したようだけどね。
ますますのご活躍をお祈りしております。
2012年6月28日に
『日本老年医学会(理事長・大内尉義東大教授)は27日、高齢者の終末期における胃ろうなどの人工的水分・栄養補給について、導入や中止、差し控えなどを判断する際の指針を決定した。』
との報道があった。
私の知り合いにも、6年前に脳卒中で寝たきりとなり、誤嚥性肺炎(食べ物をうまく飲み込めず肺に入ることが原因で生じる肺炎)を繰り返すために3年前から胃ろう(おなかの表面から、直接胃の中に管を入れて、そこから栄養剤を注入することにより、まったく飲み食いできなくても、生命を維持することができる)を行っている人がいる。
齢90歳に達しようとしている昨今、問いかけにうなずくくらいで意識があるのなか、ないのかはっきりしない。
繰り返す肺炎と、尿道感染の治療を行っているが、もし意識がはっきりしていたらどんな気持ちでいるのだろうか。
胃ろうとは違うが、Dr.OKも癌の治療をしていた頃、がんの末期に立ち会う事もあった。
いよいよご臨終となり、意識もなくなり徐々に血圧が下がってきたときに、さらに昇圧剤を投与して心臓を動かし続けるかどうか、決断に迫られることがあった。
医者になりたての1984年当時は、指導医師から昇圧剤の使い方を教わり、心停止となった場合は、心臓マッサージから心注(心臓に長い注射針を用いて、直接強心剤を注射する)まで、蘇生術を行っていた。
指導医からは
「蘇生術を行う時は、家族の方には退出してもらうように。ショッキングで、とても家族に見せられないからね」
と、家族にも気配りをするように教えられた。
そうやって、精いっぱい仕事をしたつもりでいても、『医者の自己満足』ではないか、『家族に看取られることもなく死んでいくのはかわいそうではないか』との議論が高まり、その後、意識がないほどの末期患者さんに積極的な延命治療をしたり、心停止の時に蘇生術を行うかどうか、家族に前もって聞いておく慣習となった。
実際に私の経験では『何が何でも、一秒でも長く心臓を動かしてください』と延命治療や蘇生術を希望する家族は一人もいなかった。
元気なうちに、胃ろうについてどうするか、どのようなときは拒否するか、家族に知らせておきたいと思う。
最近、ココロを入れ替えて、このブログの本題である『痔のおはなし』に力を入れようと、記事を作成している。どうしても、病気の話となると、それが外科系であることからも、説明に画像が必要となってくる。
たとえば、内痔核の脱出(いわゆる脱肛)と、血栓性外痔核と、かんとん痔核を文章だけで説明しようとすると至難の業。
文章だけの説明では、一般の方に正しいイメージを持っていただいて、いざというときに自分はどの痔核で、どのような治療法が必要なのか、すぐに病院にかかるべきなのか、忙しいからとりあえず薬局で薬を購入して自己治療しても大丈夫なのか、判断が難しいと思う。。
勢い、肛門が腫れた画像を掲載することになるが、その点については医師の間でも賛否両論がある。

昔から、医者の世界には
『知らしむべからず、寄らしむべし』
というような、格言のようなものがあった。
これは、
『患者さんに病気やその治療法について教えてはいけない(それは無知な患者さんをかえって不安がらせるばかりで何のメリットもない)、何も教えなくても頼りにされなければいけない』
という意味を含んでいる。
現代の情報が自由に飛び交う時代では、それでは通用しない。
逆に、インターネットが普及してからは、井戸端会議のような不確実な情報でも、内容にアピールするものがあればあっという間に社会の常識になりかねないから、問題である。
それに対抗するものとして、常に正しい情報を積極的に発信するのも、意思の役割だと思っている。
ここに、一枚の脱肛の写真が掲載されているとしよう。
「キャーキモイ!Dr.OKってヘンタイじゃないのぉ」
と思う前に、考えて欲しい。
その画像一枚得るためにどれだけの努力が必要かという事を。
患者さんとのゆるぎない友好関係を築き、
医療情報の公開がどれだけ一般の人の救いになるかを理解していただき、
大いなる羞恥心を乗り越えて、面倒な撮影に付き合っていただき、
学会やインターネットでの公開を、強制的ではなく、快く承諾していただいたうえで得られた、貴重な写真である。
そのような理解と感謝の気持ちを持って、病変部の写真を眺めて欲しい。
GWのさなかの4月29日、高速バスが側壁に激突する事故が発生した。バスは前部がつぶれ、運転手、乗客45人のうち7人が死亡、9人が重傷、29人が軽傷という、大惨事。
まず、亡くなった方々のご冥福と怪我をされた人々のご快癒をお祈りしたい。
その後、原因が運転手の過労による居眠りという事で、その労働条件の厳しさが次々と報じられている。
これらのニュースを聞いて、
「じゃあ、医師の労働条件、どうよ!!」
と、一人ごちするDr:OKであった。
ネットで報じられたニュースのヘッドラインについて、コメントしてみたい。
【日雇いは当たり前」同業者が証言】
最近は卒後研修制度が改善され、かなりよくなったと聞くが、無給に近い賃金で勤務している医師がかつては多かった。
生活のため、夜間の当直バイトをする。ほとんど寝るだけの当直は人気があって、なかなか回ってこないので、高給であるがほとんど眠れない夜間救急当直を受けることになる。
ほとんど眠れなかった翌日、そのまま病院勤務に出かける医師は、若いからこなせる、体力勝負なのである。
【仮眠はラブホテル…運転手たちの苦悩】
前日、重症患者さんの治療や、緊急手術などでほとんど寝られなかった医師。仮眠用のベッドが用意してある病院もあるが、『満床』のこともある。
そんな仮眠ベッドにあぶれた医師たちが、医局のソファーでマグロ状態になっているのも、見慣れた朝の風物詩であった。
【転手の就労基準 厚労省の姿勢に批判】
いつも問題があってから動き出すのが、行政のお約束。
睡眠不足でも、予定の勤務をこなす医師。
Dr.OKも徹夜の翌日執刀をした経験あり。いつしか、必要以上に体力温存する習慣が身に付き、宴会の二次会は行かないようになった。
けっして、付き合いが悪い性格でもないんだけどね・・・
【運転手2人体制を要請 国交省】
人数が十分足りていれば、危険な綱渡り的な勤務体制をしなくても済むだろうね。
でも、そんなことしたら、日本の保険医療体制度が崩壊してしまう。
日本は、いろいろ問題は指摘されているけど、高度な医療を世界一安い価格で享受できる、シアワセの国なのである。
西新井大腸肛門科でワラジを脱いでいるDr.OK、第2,3,4週の日曜日は一人で勤務している。
最初は、検査申込書の扱いや、緊急時の紹介病院先など、わからないことばかりでドギマギしたが、最近ではそれもスムースにこなせるようになった。
朝8時半から入院患者さんの診察が始まり、9時から12時までは外来診療。
医師はたった一人だから、すべてを任されて、自分の判断で責任を持って仕事をしなければならない。
いきおい説明が長くなったりして、予定時間を延長することの無いように、気を付ける。
医師という仕事のよいところは、最後の最後には自分と患者さんとの『1対1』対応であること。
その分、患者さんとの信頼関係は大切で、結果においては責任を取らなければならないことになる。
一見、無駄話をしているようでも、そのなかで生まれも育った環境も違う赤の他人の患者さんと、信頼関係を結ぶというのも、医師の大切な技量なのである。
同じ薬を処方しても、見ず知らずの医者が
「お薬を処方しておきますからね、お大事に」
と型通りのことを言うのと、信頼関係のある医者が
「大丈夫、良く効くお薬がありますから、ちゃんと飲んでくださいね」
と言うのでは、効き方に差が出るということは、周知の事実でもある。
忙しい外来診察が終わったら、夕方まで医局でお留守番をするだけ。
たまに病棟から、電話がかかってくるけど、薬の指示や簡単な報告を聞くだけで、救急病院のように
「いざ、緊急手術」
という事で、心のファンファーレが鳴ることもない。
のんびりとレンタルショップで借りたDVDを見るのが、最近のお楽しみになっている。
もちろん、エッチビデオ・・・・
ではありません。
今日は『トランスフォーマー』なのだ!(^^)!
医学生の娘が3年生になったころ、
「とーとー(おとうさん)、解剖実習始まったよー(´▽`)ノワーイ」
と連絡がきた。
「様子はどう?」
と尋ねると
「面白いけど、大変だよー」
との返事。
はやくも、医学的に興味があることを『面白い』と言ってしまう、医者の嫌なところの片鱗をのぞかせている。
興味ある病気の患者さんを『面白い症例』という、医師仲間の会話は、一般の人から聞いたら不謹慎に聞こえるだろう。いわんや、生死をかけて重い病気と戦っている患者さんが聞いたら、どんなに気落ちするかわからない。
今度会ったら、注意しなくっちゃ・・・
Dr.OKも2年間の教養部生活をようやく終えて、3年目に医学部に進学したころ、解剖実習が始まった。
潤沢なご献体の準備がある我が母校は、4人で2体の解剖を行い、1体目は上半身、2体目は下半身というように、ぜいたくな体制で解剖実習を行った。
その分、解剖実習にかける教授の意気込みもすごく、実習時間内ではとうていこなせないような課題を与える。学生は、講義が終わると急いで解剖実習室を開けてもらい、時には日にちが変わるころまで解剖を行い、力尽きて講義室のソファーでお泊りするようなこともあった。
こうやって、実習が終わるころには、医師としての心構えの一片を会得するのも、解剖学実習の重要な意義である。
解剖実習にあきた医学生が、献体の耳をそぎ落として壁につけて「
壁に耳あり」とふざけて退学処分になったという都市伝説があるが、Dr.OKの見た解剖実習には、そんな雰囲気はみじんもなかった。
実習の始まりには、すでにバラバラな物体と化しているご遺体に手を合わせて黙とうをしてから、おおってある青いカバーを取った。
とはいえ、全く押し黙って黙々とメスやはさみをふるっていたわけでもない。
時には冗談も言い合い、穏やかな雰囲気をつくらなければ、気が重くてやっていられないというのが、口に出さなくても皆の思いであっただろう。
「(医学生に切り刻まれるから)献体するくらいなら、死んだほうがましだ。」
なんてブラックジョークが飛んだのも、今となってはちょっと不謹慎だったかと反省する。
かけがえのない命を終えて、さらに献体するという崇高な意思をいただき解剖実習をすることによって、Dr.OKはなぜ医師になりたいかとの問いに、明快な回答を得ることができた。
それは、人の命を救うことは『絶対的に善』であるという事。
「それなら、世紀の大悪人の命を救うことも善なのでしょうか」
と聞かれることもある。
しかし、世紀の大悪人であっても、リンチで殺してしまうのは善ではない。
どうして、そのような犯罪的行為が行われたのか究明し、人類として二度とその過ちを繰り返さないための教訓を得ること。そのうえで、公正な裁判によって相応な社会的責任を果たさせるのが、善なのである。
なんか、話が大きすぎる方向に進んでしまった(*^~^*)ゝ
全国の医学生のみなさん、頑張ってください。
『まったく痛みを感じず、寝ているうちに大腸内視鏡検査ができます』
などという宣伝文句で患者さんを集めている医療機関がある。
今や【無痛内視鏡検査】でググれば、いっぱい検索できるほど流行っている。
どういうことするかというと、点滴をしている管
からプロポフォールという麻酔薬を注入する。
プロポフォールは、全身麻酔を行うときに、真っ先に注入される。
患者さんは数十秒で意識を失った状態で、挿管(気管に管を通すこと)を行い麻酔器につながれる。
その効果は10分程度で切れて患者さんは自分で呼吸ができるようになるため、挿管できないような不都合があった場合にも、呼吸マスクをあてて手で人工呼吸をしていれば、患者さんは無事生還できる。
このすぐれた特性を用いることで、大腸内視鏡検査を受ける患者さんの点滴の管から、プロポフォールを持続的に注入して、意識のないうちに検査を行うことができる。しかも健忘作用があり、検査中に痛がっても、検査をしたこと自体、忘れてしまっていることもあります。
ただ、欠点もある。
重大な欠点は投与量が多いと、患者さんの呼吸は止まってしまうので窒息死する恐れがある。
マイケルジャクソンが眠るために医師に投与されてお亡くなりになったのも、この薬である。
実際に、プロポフォールを使って検査をしている先生に尋ねたら、
「大丈夫、ちゃんと呼吸モニターを付けていので、呼吸が弱くなったらアラームが鳴りますから」
しかし、検査に夢中になっていたり、モニターが壊れていた時などに事故は起こるものなのである。
『石橋をたたいて割ってしまう』と言われているDr.OKは、
「使えば患者さんの評判がよくなり、Dr.OK改め『Dr.ペインレス』と映画
M★A★S★H に登場する歯科医のように呼んでもらえるようになるかしらん」
と思いながらも使っていない。
痛みが少なくなるように、内視鏡の挿入技術を磨くのはい言うまでもないが、おしゃべり好きなDr.OKは検査中に患者さんに話しかけることで気を紛らわせ、痛みを感じにくくして検査を行うようにしている。
これを『しゃべくり麻酔』と呼んでいる。
最後に、私の知り合いの麻酔医は、プロポフォールを使っての内視鏡検査について
「麻酔医のいないところで使うなんて、こんな恐ろしいことは無い。」
とおっしゃっていた。
それでもプロポフォールを使っての大腸内視鏡検査をご希望の方は、くれぐれも検査中の監視体制がしっかりしている医療施設を選んでくださいね !(^^)!
最近放映されている、
クロレッツXP「ホンネ}編
場所は窓からビルの明かりが見えるオフィス。残業中の課長役の玉木宏が、そそくさと帰ろうとする部下のOLについ本音を洩らすという設定。
OL「課長仕事遅いですねー」
課長「逃げ足早いね」
OL「お先です、合コンなんで」
課長「合コンがそんなに大事ですか」
OL「大事です、今日の相手、お医者さんなんで」
課長「会社をなんだと思ってる」
OL「考えたこともありません」
課長「俺もだ...」
課長「俺も連れてってよ合コン」
OL「いいですよ、課長がお医者さんなら」
課長「だよね」
スッキリした!
OL「課長も行きます」
課長「医者じゃないし」
OL「ですよね」
なんか、医師という職業に対しての誤解が大きい。
確かに、「社会的地位が高く高収入で、結婚相手として望ましい」
というような考え方があるけど、本当にそうだろうか。
社会的地位については、言わずと知れた低下傾向。
昔はお医者様と呼ばれた時代もあっただろうが、今日では特殊なサービス業程度に考えている人も多く、見当違いのクレームも多い。
手術で治らなければ
「失敗ですか?」
と責められ、ちょっとしたことで訴訟問題になることもある。
そのために、年間6万円近くの医療事故保険に入って、それも勤務医の場合は必要経費として認められない。
高収入というのも、もっと実情を考えてもらいたいものである。年収数億なんて医師もいることはいるけど、それは自分が経営者で、経営がきわめて順調な場合。儲かっている会社社長と同じことで、多くの勤務医は、大企業のエリートサラリーマンや高級官僚とくらべるといかがなものか。
医者の場合、順調になれたとしても6年の大学生活をおくらなければならない点で、普通の大卒より2年スタートが遅れる。その分、社会保険の加入年数が少ないこととなり、年金も少なくなる。
それに、病気には予定がなく待ったもない。
予定通り長期間休暇をとることが、なかなか難しい。
年末年始やお盆休みに成田空港の出発ロビーが混雑し、
「今年も、海外で休暇を楽しむ人たちの出国ラッシュが続いています」
なんてニュースで見ると、ため息が出る。
少なくとも、週に一回は家族と一緒に晩飯を食べたいなんて、ささやかな希望を胸に抱く医師も多いであろう。
子供が熱を出していても、喘息でぜーぜー言っていても、病院から呼び出しがあれば深夜でも飛び出して行ってしまい、いつ帰ってくるかもわからない。
そんな医師をつれあいに選んだ女性は、本当に一生幸せなのであろうか・・・
昨晩当直をこなし、引き続き今日一日診療です。
当直といっても救急外来をやるわけではなく、入院患者さんの対応をするだけで、寝当直といっても良いものでした。
私が卒業してから5年間修行していた小牧市民病院は、救急医療を頑張って発展した病院なので、救急外来は大変忙しく、「どんな場合も、絶対に断るな」というのが至上命令でした。
ある日、満床で患者さんを他の病院へ転送したら、翌朝院長先生から呼び出され、
「どうして、断ったんだ」
---満床で、入院させるベッドがありませんでした。
「あんた、病棟の処置室があることを知っとるだろう。」
院長が『あんた』と呼ぶときは、かなり怒っているサインで、Dr.OKも身構えた。
「処置室に寝かせて、朝まで、あんたが診とればいいじゃないかっ!!」
また、年に一度くらい『手術祭り』とも呼べるような大忙しの日があった。
当時、土曜日は半ドンで、午後3時頃ようやく帰ろうとすると、救急外来から電話・・・
「アッペ(虫垂炎)の患者さんです。」
その頃は、今のように虫垂炎を薬で治すことはあまり行われず、急な右下腹部の痛みがあって、白血球数が10000をこえるような場合は、緊急手術を行っていた。どちらかというと、ひよっこ外科医OKにとっては、執刀を任される有難い症例でもある。
「まぁ、アッペくらいならすぐに片づけて、夕食には間に合うだろう」
と思っていたら大間違い、先輩医師に指導を受けながらの手術中に救急外来から電話があって
「どうも、胃潰瘍の穿孔のようでパンぺリです。」
パンぺリというのは、広範囲の腹膜炎を起こしている状態で、患者さんは痛くておなかを抱えた姿勢(これをエビゾリと呼んでいた)で動けない。至急手術をしなければ敗血症になって致命的である。
急いで、近くに住んでいる同僚に応援をたのみ、今度はDr.OKが助手となって、2時間ほどの手術をこなした。
さあ帰ろうと着替えていると、
「先生、またアッペです。」
と連絡が入り、その後も交通事故で腸管破裂の疑いや、またまた胃潰瘍の穿孔などなど、応援追加し同僚も勢ぞろいで次々と手術をこなし、気づいたら月曜日の朝日が昇ってくるような時間になっていた。
そんな病院で、きっちりと鍛えられたので、昨晩のお泊りは当直と呼ぶのも恥ずかしいくらい。
その当時指導して頂いたS先生が、
「こんなに忙しい病院ばかりじゃないけど、これだけのことを経験したら、将来どんなに忙しくても頑張れるから」
と励ましてくれたのを思い出した。
あっ、そういえば今日は誕生日だった(^_^;)
大会医師をやってきました。
幼稚園児から中学生まで、学年別に戦うのである。
同じ学年でも、体重15Kgも違った対戦もあって、ハラハラする場面も多い。
応援の方々の力の入れようもすごい。
声援の大きさやビデオカメラの数を比べたら、プロの試合を凌駕する。
幼稚園児や小学生低学年の試合は、見ていても微笑ましい。
大きなヘッドギアをつけて、ポカポカ殴りあう。
とはいっても、当の本人は真剣そのもの。
負けると、いっちょまえに悔し泣きする。
そんな泣きじゃくっている子供を慰めるのはお父さんの出番。
父と子の”ウツクシイ黄金時代”そのもの。
お父さん頑張って!
子供が胸に飛び込んでくる時代なんて、あっという間に過ぎ去ってしまうから。
Dr.OKにも、かつてこういう時代があった。
こんな生活が普通の時代だったので、
http://www.med.or.jp/etc/tvcm/09cmm90.asx
十分子供につき合えなかったのが心残りである。

朝、内視鏡検査の予約をしていた患者さんから電話があった。
「会社の検診で受けるから、キャンセルします。」
体調が悪いとか、都合が急につかなくなったなら、仕方がない。
でも、会社の検診の予定は以前からわかっていたものだろう。
それを、当日の朝にキャンセルされるのでは、こちらも困ってしまう。
キャンセル代は取られないので、気楽にキャンセルするのだろうか?
内視鏡検査のために行った血液検査も無駄になってしまう。
患者さんも、血液検査費用の何割かを支払うわけだが、それ以上に健康保険から支出されるわけで、ひいては医療費の高騰につながってしまう。
まぁ、文句を言ってもしょうがない。
あいた時間を、有効利用しよう。

私が所属する表題の学会。
独自の専門医制度を持っていて、業績に応じて
一般会員⇒専門医⇒指導医⇒評議員
と出世コースのレールが敷かれている。
一般会員には、医者なら誰でもなれる。
医師の経歴に「日本大腸肛門病学会会員」と書かれていても専門医である保障にはならない。
年会費を納めていれば、誰でもなれるからである。
専門医は、会員として5年以上勤めたものが、一定の修練を経験し、試験を受けて認定される。
とりあえず、大腸肛門病の専門医といえる。
しかし、専門分野が
Ⅰ 内科・放射線科・病理科・その他
Ⅱa 外科
Ⅱb 肛門科
に分かれて試験を受けるだが、一般の方々には、その医者がどの専門分野に所属しているかは公表されてはいない。
http://www.coloproctology.gr.jp/doc/map.html
参考。
私も何度か、広報委員会で専門分野の公表を求めたのだが、なかなか話が進まない。
これでは、一般の人が専門医を探す手段とはなりえず、宝の持ち腐れだと思うのだが、今のところ医者に問い合わせるしか方法がない。
さらに、専門医として修練を重ねると、試験を受けて指導医になれる。
さらにさらに修練を重ねると、評議員になる事ができる。
Dr.OKは社会保険中央総合病院大腸肛門病センターという、大腸肛門病学のメッカに17年も所属する事ができたので、順調に評議員まで上がる事ができた。
今年は5年毎の資格更新の年で、朝から更新書類に取り組んでいる。
書類作成を苦手とするDr.OKにとっては、めんどくさい作業が続く。
資格を剥奪されないために、今後も学会や研究会の参加や論文の作成を続けなくてはならないのは、言うまでもない
(゚_゚i)
深夜早朝、目覚めた自分の隣の部屋で、娘がようやく眠りに付いたようだ。
明日朝、娘は友人と旅立ち、大分へ旅行。
帰ると挨拶する暇もなく、福井へ旅立つ予定だという。
父親としても、とても複雑な気持ち。
元気でいてくれ。
おろかな父親を踏み台にして、乗り越えておくれ。
この先、何回一緒に笑って食事ができるのだろう。
昨夜も、最後の「パシリ」だと言って、財布を僕の書斎に届けてくれた。
キーボードがかすんで読めない。
22日に行われた「東京マラソン2009」に出場したデイリースポーツ特命応援団長でおなじみのタレント・松村邦洋(41)が、スタートから14・7キロ地点で突然倒れ、一時心肺停止状態になった。
大変な事態である。私の恩師の心臓外科の教授は、心臓手術後の患者さんが「いつになったらマラソンできますか」と尋ねられて憤慨していた。
大きなマラソン大会が行われると、必ずと言って良いほど、体調を崩したり、時には死亡事故が起こる。
それに比べて、心臓の薬もまれには副作用や死亡事故が生じる。
「もし、名古屋マラソンで死人が一人でも出たら大騒ぎになるか中止になるかもしれん。それに比べ大変よく効く心臓の薬で5万人に一人でも副作用で死亡患者が出たら即発売中止だ」
最近気になっている、酸化マグネシウムの副作用についても、同じような臭いがする話だと思った。
昨日、日本大腸肛門病学会が主催するセミナーが開催された。
毎年この時期に開催され、Dr.OKも欠かさず参加しているが、今年はなんと全国から500人以上の参加。
例年は、テーブルつきの指定席が用意されるが、急遽椅子だけの席となったとの事。
それもそのはず、今年から大腸肛門病学会の専門医になるためには、セミナーの参加が義務付けられためである。
混む事を予想したためか、顔見知りの先生の参加が少なくなったのは寂しいことでもある。
大腸肛門病学会の専門医は、内科系、大腸外科系、肛門外科系の三種類があり、セミナーの内容も三分野構成となっていて、日ごろあまり馴染みになっていない内科系の話もうかがえて参考になった。
ただ、一般の方には、大腸肛門病学会の専門医が三つの系統に分かれている事はほとんど知られていない。
内科系の先生の所に痔の治療を目指して受診しても、『専門外』ということになってしまう。
以前、Dr.OKが属しているホームページを管理する委員会で専門医の掲載についての議論があり
「内科系、大腸外科系、肛門外科系に分類して掲載しなければ、患者さんが受診する際に混乱する」
と意見を述べたが、
「大腸外科系で専門医を取った先生が、『痔の治療はできない』と誤解されるので望ましくない」
という強固な反対意見が出て、実現しなかった。
せっかく一般の人向けに専門医情報を公開するのに、
これではあまり役に立たないと思うのですが、如何でしょうか
。
4月1日から、診療報酬の改定があって、バタバタしていたため、更新が1ヶ月以上できませんでした。
保険診療を行なっている医療機関は、全ての医療行為が一律に決められていて、2年ごとに改定があるのです。
電話帳のような資料を渡されて自分に関係あるところを探し出し、請求漏れがないようにしなくてはクリニックの経営が成り立たないので、大変でした。
今までは病院勤めで、そういう仕事は事務方がやってくれていたのですが、開業医となると自分でやらなくてはなりません。
娘と同じくらいの年の事務スタッフに教えてもらいながら、なんとかこなしています。
ところで、摘便という処置。
便秘でウンチが出せなくなったお年寄りの肛門から指を入れて、便を掻き出します。
ゴム手袋をしても、なぜか臭いが指に残るので、2重に手袋をして10分ほどの時間をかけて、大量の便を指でほじくり出すわけです。
この摘便が、いくらの診療報酬だと思いますか。
そこでアンケート調査です。
皆さんなら、いくらもらったら他人の肛門に指を入れてウンチを出してあげますか?
(1)500円
(2)1000円
(3)5000円
(4)10000円
(5)そんなこと、絶対にしたくない。
お返事、お待ちしてます。
クリニックと自宅の往復生活。
話をする相手も、患者さんと医療関係者ばかりでは、興味の対象も限られてくる。
そんな中で舞い込んだ一枚のファックス。
医者を選ぶときに参考にされる本の取材である。
2年前に発行した本の改訂版との事。
早速電話をかけて、久々に取材を受ける機会を得る事になった。
楽しみなのはライターの方が持ってくる質問内容。
一般の方が、どのような事を疑問に思っているか、不安な事は何かなど、日常診療に参考になることも多い。
診察室の患者さんは緊張していたり、遠慮があったりして、『生の声』を聞く絶好の機会である。
医学会活動とは違った情報を得て、サービス向上に役立てたいものである。
週末に大腸肛門病学会学術集会が品川で催された。
期間中クリニックを臨時休診にできればよいのだが、まだまだ開院してまもない状況ではそうも行かず、ゲリラ戦のような参加となった。
木曜午後には評議員会出席した。
会議が終わった後の懇親会が始まるまでの間、会場前のロビーで立ち話。
「どう、クリニックのほうは」
開業医である先輩が声をかけてくれた。
「自分で経営となると、慣れない事が多くて大変です」
多くの先輩から、経験談を踏まえてアドバイスをいただいた。
土曜日は、朝一番から参加。
手術のビデオを見せる会場は、いつものことだが混雑していた。
明日からの診療に役立つものはないかと、気合が入る。
ここでも、かつての同僚と久しぶりに顔をあわせ、近況報告。
知識を得ると同時に懐かしい友人に会える学会は、ますます貴重なものと感じられた
大腸内視鏡を行うとき、緊張や痛みを和らげるために麻酔剤を使うことが行われている。
さらにできるだけ患者さんに話しかけてリラックスしてもらう事も大切である。
これを、『しゃべくり麻酔』と自称している。
「どうですか、下剤は効きましたか?」
「効きすぎて、もう大腸は空っぽです」
こんな返事が返ってくるようなときは、半分『勝った』も同然。
ホームグラウンドで試合をするようなものである。
中には、患者さんが緊張している事が歴然としていて、どうも検査室の空気が硬いこともある。
そんなときは、モニターに映し出されている大腸の映像を説明しながら冗談を飛ばす。
ある日、腸の中にまだ下剤がタップリ残っている患者さんがいた。
「土砂降りの山道を運転しているような状態ですよねー」
そういうときに限って、患者さんは十分排便できていない事を自分のせいのように恐縮して、ますます空気が硬くなる。
あわてたDr.OK、
「いやぁ、山道と違って対向車が飛び出してくることはないから」
笑いをこらえていた看護師さんが、思わず吹き出して一気に雰囲気が和らいだ。
無事検査ができたのは言うまでもない。
携帯電話マニアの人は、何台もの端末を使い分ける。
以前その話を聞いたとき、まさか自分がそうなるとは思っていなかった。
Dr.OKの二台目の携帯電話は、患者さんとの連絡専用である。
日帰りで痔の手術を行う。
予想できる痛みや出血の注意は十分したつもりでも、緊急事態が生じる可能性もある。
そんなときに連絡をするための、赤い携帯電話。
幸い、今までに一度も緊急事態は生じなかったが、いつ鳴るかわからない。
電源は絶対に切れない携帯電話。
「鳴らないでおくれ」
と祈る気持ちで、毎晩充電器につないでいる。
「先生、痔が切れたみたいで出血するんですよ」
「痛みますか?」
「痛くはないんですけどね・・・」
診察の時、よく患者さんと交わす会話である。
患者さんは、痔核にバックリと傷ができて血が出ていると思われているらしい。
痔核は痔静脈叢という血管が集まっている部分が大きくなったものだから、針穴のような傷でも出血は多い。
どうも切れ痔(裂肛)という言葉との区別が曖昧になっているようだ。
さっそく痔のパンフレットを出して、痔核と裂肛の説明をする。
裂肛は、痛みを感じる場所の傷だから、「痛くないのに出血する」切れ痔(裂肛)はありえないことを理解してもらうように努力する。
ようやく納得されて、座薬を処方して一件落着。
次の患者さんが診察室に招きいれられて開口一番。
「痔が切れたみたいで・・・」
人気のある言い回しには勝てないなぁ。
窓から見える空は、青空。
ぽっかりと浮かんだ雲がゆっくり流れている。
連休だというのに、パソコンに向かっているDr.OK。
再来週、某セミナーの公演を引き受けているため、朝から原稿作り。
お題は「大腸とおしりの話」
自分の得意分野ではあるが、学会の発表とは違って一般の人を対象としているから、どこにポイントを置くべきかが難しいところ。
夕飯後に来場される時間配分でもあり、突然手術の写真をスクリーンに大写しにしたら、ヒンシュク物だろうし・・・
とにかく、この連休が勝負。
原稿に戻ります。
今日は朝から雨が降ったりやんだり。
6時には患者さんもいなくなり、白衣のままで外に出てみた。
昨日とはうって変わって秋の気配。
虫の声も聞こえてくる。
クリニックの窓ガラスに張った看板。
一枚は、室内の光が透過できる素材にした。
暗くなると、結構目立っている。
クリニックを始めたばかりのころ、
イメージキャラを指差して
「超受ける~」
と笑っていた、箸が転んでも可笑しい年頃の女子高生の皆様。
もう慣れっこになってしまったのだろうか。
お父さんやお母さんに話して欲しいものだ。