ドクターストップ

1ラウンド開始直後から、激しいパンチと肘打ちの攻防戦。
まぶしいほどのライトに照らされた空間には、汗のしぶきが舞う。

闘っているのは前田尚紀と石川直生。
全日本スーパー・フェザー 級のタイトルマッチである。
『闘う修行僧』と呼ばれ、いつも節目がちで黙々と努力するタイプの前田に対し、現役モデルでいつも明るい華のある石川。
それぞれに熱烈なファンがつき、会場もいつもにない熱気に包まれている。

画像1ラウンドが興奮の渦の中で終わり、前田がドクター席に近い赤コーナーに戻ってくる。
勝負はまだ互角、始まったばかりだ。
前田のスタミナもまだまだ余裕があるように見える。
ふと、前田の額を見ると、何か影のようなものが・・・。
すかさずリングに上がり、近くで見る。

画像間違いなく凹んでいる。
おそるおそる指を当てる。
そこには期待される骨の抵抗はなく、皮袋を押しているような感覚しかない。
「頭蓋骨陥没骨折だ」

頭蓋骨は額の部分では、間に空洞を挟んだ二枚の薄い骨の板になっていて、今、外側の板が割れて内部に陥没している。
今のところ、脳には影響がないが、さらに肘打ちを食らって内側の板が割れたら、脳が傷つくのは必至だ。

3分の戦いを終えて荒い息をしている選手以上に、DR.OKの心臓の鼓動は早くなった。
広い会場の中、この異常に気づいているのは自分だけだ。
前田はやる気満々。
自分の体に起こっている異変を知る余地もない。
正月の休みもなく、黙々とトレーニングに励んできた前田にTKO負けを宣言するのは、あまりにも酷のような気が一瞬よぎる。

コーナー下から、リングドクターTが心配そうに見上げる。
「どうしますか?」
「陥没骨折が疑われるから、止めようと思う」
「えっ、止めちゃうんですか。タイトルマッチですよ」
「いや、悪いけど止めさせてもらう」
命の番人として、どうしても譲れない気持ちが勝った。

大きく手で×印を作ってドクターストップを宣言した。
会場は、あっけに取られたようなざわめきに包まれる。
「説明をお願いします」
と渡されたマイクを取って口元に運ぶまでの刹那、頭の中は高速CPUのように考えがめぐる。

試合を続けたい選手二人。
試合を続けさせたいジムの面々。
試合を見たい2000人の観衆。
を一言で納得させる言葉をさがす。
言葉を間違えれば、ブーイングの嵐だ。

画像「ご覧になってわかるように、前田選手の前額部に陥没骨折の疑いがあります。今のところ脳への影響はないと思われますが、このまま試合を続けますと、命に関わる危険な状態になる事が想定されますので、残念ながらこの試合はドクターストップとさせていただきます。よろしくお願いします。」
一瞬間をおいて、パチパチパチと選手の健闘をたたえる拍手が起こった。
さらにジャストタイミングで石川のテーマ音楽がながし、ブーイングの起こる余地を完全につぶしてくれたのは、音楽係のオガワさんの機転であろう。

『勝った』
とは、ちょっと違うけど、大きな仕事を果たした高揚感とともに、足の力が抜けたような脱力感を感じた。
試合後の反省会(←はっきり言って飲み会です. σ(^_^;))でリングドクターの先輩であるDr.Ikkiが
「あれは、止めて正解でしたね」
と言ってくれた。
さすが、気配りの天才である。

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