かねやすまでは、江戸の内

江戸っ子を自称するK先生が言った。
「本当の江戸は、本郷三丁目までなんだよ。『本郷も、かねやすまでは、江戸の内』って言うんだよ」
と教えてくれた。
好奇心の塊のDr.OKは、さっそく早朝ウォーキングを兼ねて行ってきた。

朝5時半頃に家をスタート。立秋も過ぎ、早朝の空気は確実にひんやりしていて、気持ち良い。ピーカンの空の下、快調に歩みを進めた。
向丘から旧白山通り(中山道)をひたすら上り、東京大学農学部前の交差点で本郷通りに出た。
これでもかと長く続く東京大学の塀は、国際競争に大きく遅れをとってしまった日本を先進国にすべく、国家プロジェクトとして日本の頭脳を集めようとした明治政府の意気込みが伝わってくる。

しばらくすると、有名な赤門前に達した。
赤門から東京大学を出て、『俺も赤門出(東京大学卒業生)だからな』という、お約束のギャグをかまそうとしたが、早朝のため大きな扉はきっちりと絞められ、
『これが日本の権威だ!文句あるかーっ!!』
と言っているようであった。

この点、わが名古屋大学は自由で開放的な校風が自慢である。
第一に、門というものがない。24時間出入り自由である。
かつて、夜間に暴走族のサーキットとして使われたことがあり、可動式バリケードが設置されたが高い塀というものもなく、通りすがりの人は大学の中を見ることができる風通しの良さがある。

この、東大前の通りに面して、有名な出版社や『東大』や『赤門』を冠したビルやお店が立ち並び、いかに東大のネーム・バリューが大きなものかを思い知った。
そうこうしているうちに、本郷通りと春日通が交わる本郷三丁目の交差点にたどり着いた。ちなみに『本郷』は『湯島本郷(湯島の中心部)』が略され、春日通は春日局に由来する命名である。

画像本郷三丁目の交差点西南角に、その店はあった。
まだ朝早いのでシャッターが全面に閉じられていて、そこに大きく『かねやす』と書いてあり、柱には例の川柳が刻まれている銘板が貼ってあった。

説明書きによると、兼康祐悦という商売上手な歯科医が歯磨き粉を売り出して大繁盛したのが店の始まり。享保15年(1730年)に大火があり、防災上の理由から江戸城から本郷三丁目にかけては、家は塗屋、土蔵造りを奨励し、屋根は茅葺を禁じ瓦で葺くことを許した。このため、江戸城から『かねやす』のある本郷三丁目までは、その当時近代的な瓦葺きの家が立ち並んでいたため、前述の川柳が歌われたといわれている。

そそくさと、写真撮影を済ませて、帰路に就いた。途中『落第横丁』という名の、親しみ深いネーミングの路地に入って近道を試みたが、案の定道に迷いそうになった。
おもむろにiPhoneを取り出して、GPSで位置確認。今回は正確に作動し、都会で遭難することはなかった。

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