この言葉を初めて聞いたとき、『台風一家』と聞き間違い、
「台風には清水の次郎長一家のように、大政や森の石松のような子分がついているのか?」
と思った。
『うぅさぁぎぃ、おーいしぃ、かぁのぉやぁまぁ~♪』以来の『ききまつがい』である。
そんな台風一過の昨日、夏至も控えて朝早くから明るくなったため、4時半に家を出た。
いつもの散歩道の状態を、眺めながら歩いて行ったが、大きな木が倒れたり、電線が切れているような被害は見当たらない。
東京の人は、台風をあまり恐れていないのか、大きな街路樹が多く、去年の台風では、白山通りの太い並木が根こそぎ何本も倒れていた。

公園のふちにある木々の枝が、引きちぎられたように道路に散乱し、ご丁寧にもまだ熟し切っていないぎんなんが大量に転がっていた。
もう、誰かが歩いたのか、車が通ったのか、道に落ちているぎんなんは、つぶれている物も多かった。
早速、誰も観ていない朝の道で、ぎんなんを拾ってみた。
どうやったら、食べられるようになるか研修し、秋の本格的時期が来たら、ぎんなん拾を楽しもうと思った。
さらに歩いていくと、今度は道路の乾いた側溝に、ゴロゴロと直径2~3㎝の実が転がっているではないか。
拾ってみてみると、これは母が梅雨のころに大量に買って塩漬けしていた梅の実。
どうも、近くの民家の庭樹から、転がり落ちたのであろうが、こういうのを拾うと窃盗になるのかわからないけど、とりあえず「放置したらゴミになるだけだ」と思い、拾っておいた。

夏の午後、風鈴の音と、蚊取り線香の香りが記憶の中からよみがえってきた。
こんな台風一家、もとい、台風一過は、いつもの道に新しく楽しい発見を運んでくれた。
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