Dr.OKの消痔堂日誌

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<<   作成日時 : 2012/05/25 21:02   >>

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1981年、医大生OKは記念すべき、初めてのパソコンを購入した。
その名もFM8.富士通が満を持して発売したパソコンで、ライバルのNEC PC-8001より一歩進んで、モニター上の指定した位置に、指定した色を表示できるという、今からかんがえたら、「それがどうしたっ」と言われそうな機能の差が争われていた。
本体価格は生協でまけてもらって20万円。カラーモニターを奮発して20万円。
バイト学生にしては、かなり高価な買い物であった。

それでも2001年宇宙の旅で、コンピュータ社会を垣間見ていた医大生OKは、自分の手の内にコンピュータなるものが所有できるというだけで大満足であった。
コンピュータ・・・なんて知的なうえ垢ぬけた響きなんだろう。

その映画で登場する、人間に反抗するコンピュータの名前が『HAL』というのだが、これはアルファベットを一文字ずつずらして

H→I、A→B、L→M

とIBMをもじったものであることは有名だが、その後の日本で、コンピュータの専門学校HALができたのも、このことを知っている同世代の人が考えたのだろうと、顔がほくそ笑んだ。

FM8はその当時でも「10年前なら、家一軒買える機能」といわれていたが、実際には自分たちが使うようなソフトもなく、ワープロも「漢字ロム」なるものを装着しなければ、英数字とカタカナしか表きない代物。
暇な私は、パソコン雑誌に掲載されているBASICで書かれたプログラムを、ポチポチと入力し、それを走らせてゲームをすることに無上の喜びを感じていた。

そういう、パソコンユーザのことを当時は
「西部労働レストラン」
(要するに、BASICのプログラム言語のうち、SAVE、LOAD、LIST、RUNしか、使わないから)
と呼んで、私もまさに、西部労働レストランの常連さんであった。

その後、しばらくコンピュータからは離れて、ワープロで初めてフロッピーディスクが使えた、東芝LUPOを、駆け出し医師Dr.OKは使っていたが、ワープロソフト一太郎の誕生で、ふたたびPCの世界に復帰。MS-DOSで動くフロッピーBASEの一太郎を違法コピーしてもらって、使用していた。
その当時の日本は、著作権意識なんてものはほとんどなく、比較的高給取りと言われた医師の間でも、自分でソフトを買う人はまれであった。

かなりのDOS使いになって、東京の病院に出てきたとき、そこでのBOSSはマック使い。当時100万円以上するMACを使って、バンバン論文を書いていた。
「どうだ、MACは操作がユーザーフレンドリーですごいだろう、お前も買うか?」
といわれ、とうとうとMS-DOSのコストパフォーマンスの良さを論じたところ、危うく干されそうになり、あわてて(忘れもしない)64万円のMACを買い「買うか?」というのが「買え!」と同義であることを知った。

その後、、WIN85の発売にまぎれて、再度DOSの世界へもどった。こちらは、たしかにMACのパクリだと思ったが、米国の国策ともいえる判断で、おとがめなしとなり、MACの環境を安価で手に入るれられることとなった。

つづく・・・

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